2012年10月3日水曜日

insurgent

Illustrated by Kazuhiro Kawakita


insurgentは、「暴徒」「反乱兵」。カタカナ読みは「インサージェント」。語源はラテン語で18世紀に遡り、in-はagainst(~に対して)という意味の接頭辞、surgereする(rise=立ち上がる)人で、「反対して立ち上がる人」を意味する。今では、政府に反対して武装蜂起する「反政府分子」を指す。insurgencyは「反政府暴動」だ。
insurgentや insurgencyは2003年のイラク戦争以来、米メディアをにぎわし続けた。とくに“Iraqi insurgency”(イラクの反政府暴動)は、言葉としてすっかり定着。イラク国内の武装襲撃や自爆攻撃は当初、米軍を中心とする連合軍、新政府の軍隊や警察、とくに新たな兵士や警察官の募集現場などが主要な標的にされてきた。「反米」、「反政府」の意思が明らかなだけに、米国の政治家やマスコミは彼ら攻撃者をinsurgentと呼んできた。当事国であるイラク新政府のマリキ首相は、さらにmilitia(民兵)、terrorist(テロリスト)と非難、ブッシュ大統領はIraqi insurgencyに対する米軍の戦闘行為を“war on terrorism”(テロとの戦い)と言い切った。もっとも、ロイター通信は、距離を置いてgunman(ガンマン)と呼び、日本のメディアも、「武装勢力」と呼んできた。
ところが、Iraqi insurgencyの中身となると、非常に複雑で一筋縄ではいかない。
イスラム教には、スンニ派とシーア派の二大宗派がある。世界的に見るとスンニ派が9割を占めるが、イラクではシーア派が多数派、スンニ派は少数派と逆転している。フセイン旧政権を支持したのは、少数派であるスンニ派で、イラク戦争で旧政権が崩壊するとともに〝下野〟。そのためinsurgentは、旧政権を支えたバース党の残党、スンニ派の国粋主義者や過激派、さらに米国に対してジハド(聖戦)を唱える外国からのスンニ派義勇兵などと見られてきた。
 一方、新政府を主導するのはシーア派。その政府軍と米軍の兵士がスンニ派の非武装の民間人まで無差別に攻撃したことで、国内は大混乱に陥った。国連の発表によると、2006年10月には3709人のイラク市民が殺害されたという。11月23日には首都バグダッド東部のシーア派居住地区で、スンニ派武装勢力が自動車爆弾による白昼堂々の大攻撃を仕掛け、450人以上の死傷者が出た。その後も両派の報復合戦が続き、毎月10万人以上が国外へ脱出する危機的な状況が続いた。
 この事態について、イラク戦争開戦時に国務長官を務めたコリン・パウエル氏は11月29日、アラブ首長国連邦で講演した際、“Iraq’s violence meets the standard of civil war.”(イラクの暴力は内戦の段階)と表現した。civil warの定義は「国内の派閥・党派や地域間の紛争」で、ここでは、「シーア派とスンニ派の紛争」。ブッシュ政権はこの見解を否定したが、これを機にイラク駐留米軍の撤退が焦眉の政治課題に浮上した。The Sankei Shimbun(December 10 2006)

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