2012年1月25日水曜日

bridge to nowhere


Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 bridgeは「橋」。nowhereは本来「存在しない所」だが、日本語で「どこにも~ない」という意味の副詞や、「何の取柄もない所」という名詞で使われる。bridge to nowhereは「何の取柄もない所にかかる橋」で、カタカナ読みは「ブリッジ・トゥ・ノーホェア」。政府が小数の利益のために、莫大な金を使うのを批判する表現。
 9月30日付の米メディアは、いっせいに“House Rejects Bailout Package, 228-205; Stocks Plunge”(ニューヨーク・タイムズ)などと報じた。House は米議会下院。Bailout Packageは、米政府が最大限7000億㌦の公的資金を投じて、金融機関の不良債権を買い取る法案で、これによって金融機関をbail out(救済する)というわけだ。が、この法案は228対205で否決され、株価は暴落した。では、なぜ法案が否決されたのか?
“‘Bridge Loan to Nowhere’ : Public Outcry Forces House to Reject $700 Billion Bailout of Financial Industry”(ニュース番組「デモクラシー・ナウ!」)との皮肉った見方がある。ウォール街の金融業だけを救済するために巨額の税金を使うのは、Bridge Loan to Nowhere。ここでloanは「貸付金」だが、結局このカネは戻ってこないから、ドブに金を捨てるようなものだという。そうしたpublic outcry(大衆の叫び、つまり世論)が法案否決の圧力になったとの分析だ。
 bridge to nowhereの語源は、共和党副大統領候補サラ・ペイリンさんが知事を務めていたアラスカ州で、人口50人のグラヴィナ島と対岸のケチカンとを結ぶために計画された橋。アラスカ出身の共和党議員団が政府に建設を迫り、2005年に米議会に提案された。サンフランシスコの〝金門橋〟に匹敵する長さで、総額4億㌦近い投資になるため、「なぜ一部住民のためにそんな大事業をするのか」との批判がアラスカ州以外から高まり、そのときに、〝グラヴィナ島橋〟を評してこの表現が使われた。ペイリン知事は建設推進者だったが、2007年に事業を撤回、共和党の副大統領候補に指名されてからは、“I told Congress, thanks but no thanks on that bridge to nowhere.”(私は議会に対して、この無駄遣いな橋について、ありがとうとも、いいえ結構ですとも言った)と語った。
 ところで、コラムニストのウィリアム・サファイア氏の「政治辞書」(2008年)によると、bridge to nowhereは、1986年のニュージーランド製ホラー映画のタイトルになったほか、かつて実際にあった橋のニックネームとしても用いられたという。すなわち、橋の向こうの居住地が荒れ果てて人が住まなくなり、もはや渡る必要がなくなった橋という意味である。
 米政府のbailout packageは修正、再可決されて成立したが、結局、ウォールストリートの銀行家たちを救済しただけに終わり、The 99%の民衆にとってはbridge to nowhereになった。The Sankei Shimbun (October 12 2008)

etiquette


Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 etiquetteは「エチケット」「礼儀」「作法」。カタカナ読みでもう少し正確には「エティケット」。ウェブスターズ・カレッジ辞書の定義は、“conventional requirements as to proper social behavior”(正しい社交に要求される慣例)または、“a prescribed or accepted code of usage in matters of ceremony”(儀礼に際し規定・容認された慣行)。
 インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(2008年9月9日付)は“For McCain and Palin, a new etiquette”との見出しで、共和党の大統領候補だったマケイン上院議員と副大統領候補に選ばれたペイリン・アラスカ州知事のために、〝新しいエチケット〟が生まれた、と報じた。“For now, the rule is simple: Hug your running mate, kiss your wife.”(今やルールは簡単。ランニング・メートには抱擁、女房にはキス)。つまり、共和党大会でペイリンさんが受諾演説をした後、“McCain gave her a hug, not a handshake.”(マケインは彼女と握手ではなく、抱擁した)。続いて“He took a short side-step and planted a peck on his wife’s cheek.”(少し横に寄ると、女房の頬にチュッとした)というわけ。この演出は、その後の演説会などでも見られた。
 1984年の大統領選挙で、民主党のモンデール大統領候補に初の女性副大統領候補としてフェラーロ下院議員が選出されたが、“Mondale had a strict ‘hands off’ policy.”(モンデールは決して相手の体に触れない方針を貫いた)。その結果、2人は並んで手を振るだけだった。“People were afraid that it would look like, ‘Oh, my God, they’re dating’ .”(何とあいつらデートしている、と見られるのを恐れた)とフェラーロさんは、当時を振り返る。あれから4半世紀を経て、何が変わったのだろうか?
 アメリカの副大統領の主要な職務は、大統領に万が一のことがあった場合に、大統領になること。それだけに、かつては同等の経験者をランニング・メートに選んだようだ。けれども、最近の選択を見ると、大統領に足りない部分を補う選択が目立つ。民主党の大統領候補オバマ上院議員は、自分に不足した政治経験を補うためにベテランのバイデン上院議員を副大統領候補に選んだ。しかも、バイデン氏は白人である。
 マケイン氏の選択を考えると、自分に足りない若さ(当時、マケイン氏は72歳で、ペイリンさんは44歳)と〝女性の魅力〟を補った。だが、マケイン氏には、First Lady候補のシンディさん(54歳)がいる。そこで、政治上の女房役のペイリンさんとは、接し方に一線を画した。ペイリンさんも、この抱擁を、“It’s a form of professional endearment.”(職業上の親愛の一表現)と割り切って考えたようだ。
 だが、この新しいエチケットの真似は禁物。というのも“Hugging at an office may be considered sexual harassment, unless it’s OK with two people.”(オフィスでの抱擁は、両人がOKしないかぎり、セクハラと見なされかねない)。The Sankei Shimbun (October 19 2008) 「グローバル・English」はこちらへ

2012年1月15日日曜日

political correctness


Illustrated by Kazuhiro Kawakita

 politicalは「政治の」「政治的な」で、correctnessは「正しさ」「正当性」。「政治的正当性」と訳され、カタカナ読みは「ポリティカル・コレクトネス」。略称はPC。形容詞では、politically correct(政治的に正しい)となる。では、いったい何が政治的に正しいのか?language(言葉遣い)である。そのほか、idea(考え)、behavior(行動)など。
 2008年の米大統領選では、民主党のバラック・オバマと共和党のジョン・マケインのnegative campaign(中傷合戦)がデッド・ヒート。たとえば、オバマ陣営は、マケイン陣営を“old-style politicians”(旧体制の政治家)、“old big–spending Washington Lobbyists”(無駄遣いの古いワシントン・ロビー)など、oldを連発してこき下ろしている。このoldは「古い」のほかに、「年老いた」の意味がある。これはマケイン氏が72歳で、高齢であること当てこすっている。“Is John McCain too old to be president?”(ジョン・マケインは大統領になるには年を取り過ぎているか?)と、ワシントン・ポストなど有力メディアも、大統領の資格として年齢問題を取り上げたことがある。
 ところが、高齢社会が進む現在、特定の人をoldというのは差別的と見なされ、not politically correct(政治的に正しくない)との批判が高まってきた。それだけに、オバマ陣営も“old man”(老人)と直接言うことは避けているが、「oldを繰り返して印象付けるdirty politics(汚いやり口)だ」とマケイン陣営は憤慨している。
 米国では1980年代、フェミニズム運動の中で言葉遣いに多く残るmale-dominating pattern(男性支配のパターン)がgender discrimination(性的差別)であると批判された。たとえば、「男」を意味するmanが「人」と同義として使われるのは、not politically correctというわけ。その結果、policeman(警察官)はpolice officerに、mailman(郵便配達員)はmail carrierに言い換えられた。また、salesmanやsaleswomanは廃されてsales personに、chairman(議長)も公式にはchairあるいはchairpersonと呼ばれるようになった。これらの言い換え語は、“gender-sensitive language”(性別に配慮した言葉遣い)だが、PC movement(PC運動)は80年代後半以降、race(人種)、culture(文化)、age(年齢)、abilities(能力)などに急速に拡大している。
 米国で、英語を母国語としない生徒のためのEFL(外国語としての英語)のクラスでは、必ずpolitically correct Englishを教える。英語の学習とともに、すべての人は平等で差別してはならないという民主主義の基本理念を叩き込むわけだ。だが、politically correct Englishが支配する公式の会話や文章は、〝建前〟の世界。1歩外へ出るとpolitically incorrect Englishが氾濫するのもアメリカの現実だ。talk in private(私的な会話)になれば、つい本音が出てしまうのである。The sankei Shimbun (October 26 2008)

weasel words


Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 weaselは「イタチ」でwordsは「言葉」。2つ合わさると、カタカナ読みが「ウィーズル・ワーズ」で「イタチ言葉」となるが、直訳では何のことか分からない。これは、実体をずばり示さず、あいまいで、ときに2枚舌で、相手をミスリードする言葉。その狙いは、to try to hide the truth(真実の隠蔽をはかること)。政治家や役所、企業のPR用語に多く見られる。
 weasel wordsは、1900年にアメリカのセンチュリー・マガジンに掲載された短編小説に登場したのがはじまり。“words that suck the life out of the words next to them, just as a weasel sucks the egg and leaves the shell”(イタチがタマゴの中身を吸い取って殻だけ残すように、言葉の〝生命〟を吸い取った言葉)と説明される。言い換えれば、「名が体を表さない言葉」だ。
 さて、政治家がより多くの有権者にアピールしようとすると、発言にweasel wordsが増える。2008年の大統領選挙でもabortion(妊娠中絶)をめぐって保守派は反対、リベラル派は「女性の権利」と主張して世論は2分。そこで、民主党のオバマ大統領は発言した。“I think it’s entirely appropriate for states to restrict or even prohibit late-term abortions as long as there is a strict, well-defined exception for the health of the mother.”(州政府が妊娠後期の中絶を制限、禁止するのは適切であると思う。ただし、母親の健康について厳格に定義した例外がある限りにおいて)。ここで問題になったweasel wordsはlate-term abortions(妊娠後期の中絶)。文脈からすると、オバマ氏は基本的にlate-term abortionsに反対。だが、母親の健康状態によって例外はある、という。また、彼はearly-term abortions(妊娠初期の中絶)について言及を避けた。
 オバマ氏の発言は、保守・リベラル双方に配慮したものと言える。だが案に相違し、フェミニストからは「女性の中絶する権利にオバマ氏は反対だ!」と批判が上がり、キリスト教右派は「オバマ氏は“Abortion President”(中絶大統領)」と糾弾。weasel wordsは逆効果となってしまった。
 ところで、weasel wordsは政治に限らず、われわれの日常生活にも蔓延する傾向にある。たとえば、“People say…”(人々は~と言っている)という表現。peopleとは一体誰のことなのか? “I heard that…”(私は~と聞いた)、どこで誰から聞いたのか? “It is mentioned that…”(~と言われている)も、誰が言ったのか不明だ。受身形(passive voice)はとくに要注意。“Permission was refused.”(許可は認められなかった)は、誰が許可を拒絶したのか分からないが、役人の責任回避の常套語である。われわれ自身も、“I made a mistake.”(私は間違いを犯した)というべきところを、“Mistakes were made.”(間違いが起こった)などと、ごまかしてはいけない。
The sankei Shimbun (November 2 2008)

2012年1月7日土曜日

bubble


Illustrated by Kazuhiro Kawakita

 
 bubbleは通常の意味は「あぶく」。多数の泡の場合はbubbles。経済のbubbleもカタカナ読みで「バブル」。だが、アメリカン・ヘリテージ辞書によると、a protective, often isolating envelope or cover(保護・隔離用の包囲物、またはカバー)という、もう1つの意味がある。さらに、政治用語として、大統領を保護・隔離するため周囲にめぐらされるsecurity zone(保安地帯)を指す。
 オバマ大統領も、in the bubble(バブルの中)の人である。AP通信は、2008年の大統領選挙に当選した日の模様について、“His victory speech was delivered before a multiracial crowd of more than 100,000 people. Many cried and nodded their heads while he spoke, surrounded by clear bulletproof screens on his left and right.”これを訳すと、「10万人以上の多人種からなる群衆を前に勝利宣言が行われた。彼が演説するあいだ、多くの人が涙を流し、うなずいた」わけだが、オバマ氏はその時「左右を透明な防弾スクリーンに囲われていた」という。タイム誌(11月4日付)によると、この防弾スクリーンは約3㍍×約4・5㍍あり、“protect him from potential snipers in the high-rise buildings”(高いビルからの狙撃者から守る)ためだ。
 コラムニストのウイリアム・サファイア氏の「政治辞書」(2008年)によると、bubbleの語は、オープンカーに乗った大統領を保護するためのtransparent shield(透明の覆い)に由来する。アイゼンハワー政権の時にリムジンの覆いが開発され、bubbleと呼ばれた。だが、1963年のケネディ大統領暗殺事件では、大統領の乗ったリムジンにbubble は装着されていなかったという。
 bubbleは転じて、大統領の護衛全般を指すようになる。護衛はUnited States Secret Service(合衆国シークレットサービス)が行うが、1968年にロバート・ケネディ上院議員が大統領選挙戦の最中に暗殺されてからは、大統領候補も護衛の対象になった。オバマ氏の場合は、候補になる1年以上前の2007年5月から護衛がつけられ、今年に入ってからは、さらに強化された。人種差別主義者による襲撃、暗殺を警戒してのことである。実際、2008年の8月には、オバマ氏の暗殺を計画したとして容疑者3人が逮捕された。
 さて、bubbleは比喩としても使われる。ニューズウィーク誌(2005年12月19日号)は、“Bush in the Bubble”(バブルの中のブッシュ)と題する記事で、ブッシュ大統領は“the most isolated president in modern history”(現代史上最も隔離された大統領)ではないかと書いた。“He does not like dissonance.”(彼は不協和音を嫌う)とされ、自らが信頼する人物以外、そばに寄せ付けないという。こうしたbubbleは権力者にありがちなことで、悪いニュースや耳の痛い話から遠ざけられ、大事を誤ることになる。The Sankei Shimbun (November 16 2008)「グローバル・English」はこちらへ

mutt


Illustrated by Kazuhiro Kawakita


 muttは、アメリカの俗語で「雑種犬」。カタカナ読みは「マット」だが、uは「アッ」と詰まる音。似た発音に敷物のマットがあるが、こちらはmatと綴り、カタカナ読みは「メァット」。
 民主党のオバマ氏が2008年11月8日、大統領当選後初の記者会見で、「当選したらホワイトハウスで子犬を飼う」と2人の娘に約束したことを披露。“This is a major issue.”(これは大事な問題)としたうえで、どんな犬を飼うかについて、“Our preference would be to get a shelter dog. But obviously a lot of shelter dogs are mutts like me.”(棄てられて収容された犬が欲しいが、そういう犬の多くは雑種だ、私と同じでね)と答えた。
 オックスフォード英語辞書(OED)によると、muttの語源は、mutton-head(ヒツジの頭)で、もとは「バカ」「うすのろ」を意味し、転じてmongrel(雑種犬)を指す蔑称になった。その反対はpurebred(純血種)。ここで、オバマ氏は、自分自身の“pedigree”(血統、家系)に重ね合わせて、ジョークを言ったわけだ。
 オバマ氏は、自伝“Dreams from My Father”(邦題『マイ・ドリーム』)に、両親が“a black man and white woman, an African and an American”(黒人男性と白人女性、アフリカ人とアメリカ人)であると書いている。この黒人と白人のmixed blood(混血)を指す言葉にmulatto(ミューラット)がある。語源は、スペイン、ポルトガル語のmulato(a small mule=雄ロバと雌馬の子、ラバ)であるとされ、やはり蔑称である。
 19世紀後半の奴隷制廃止運動に抵抗した人々は、20世紀半ばまでmiscegenation(異人種間の混交、混血)に反対し、禁止する法律を全米各州で成立、施行させた。この法律は1967年に連邦最高裁で違憲判決が出るまで残存。激しい人種差別のなかで、黒人に対する差別は、黒人と付き合い、結婚する白人に及び、“Nigger lover”、“Dirty Yankee”と罵られ、差別された。
そして、mulattoの生まれを背負った人々は、白人の世界にも黒人の世界にも受け入れられず、悲劇の死を遂げるといった物語が、tragic mulatto(悲劇的なミューラット)として注目を集めた。だが、オバマ氏は、 tragic mulattoはもはや「亡霊」に過ぎず、“The tragedy is not mine.”(私の場合は悲劇ではない)と述べている。
 さて、ニューヨーク・タイムズ(11月6日付)は、“The Klan Chimes In on Obama”(Ku Klux Klanがオバマに調子を合わせる)と報じた。KKKは白人至上主義の秘密結社で、黒人排斥運動の急先鋒として悪名高く、今も活動を続けている。だが、興味深いのは、トーマス・ロブ代表の言葉。オバマ氏を“the country’s first mulatto president”(わが国初のミューラットの大統領)と呼び、大統領当選は決して黒人の勝利ではない、と強調したことである。The Sankei Shimbun (November 23 2008)